幸せの哲学
「本当の幸せってなに?」
大金持ち?沢山の子宝?世紀の大発明?
かっこいい、かわいいルックス?
結果、これはどんな偉い科学者でもわかりません。
なぜなら、幸せのベクトルは人それぞれであって幸せに基準がないからです。
極端な話、世界一お金持ちの人がいてそれが幸せかと聞かれると人によって答えは異なります。
私は今でも答えがわかりません。
ですが私がどうすれば幸せになれるのか、これをあなたに聞いてもわからないですよね。
逆もしかり、私があなたがどうすれば幸せか答えれるはずもありません。
むしろ答えられる人がいるとすればその人は神かただの無責任のどちらかです。
むしろこうやって幸せについて追及し始めると正直余計にわからなくなってきます。
逆に今、幸せな人でもこのブログを見て自分が幸せかわからなくなる人もいるはずです。
そうするとなんの為に生きているかわからなくなってしまうという現象に陥り、人生がものすごくくだらなく感じてしまいます。
でも人は欲深い生き物です。
自分自身の幸せがわからなくても追及し、正体のわからない幸せを求めてしまいます。
なぜなら人は弱い生き物です。
すがるものがなければ生きていくことすらできない生き物なのです。
その代表例が宗教ではないでしょうか。
ではここで質問です。
「あなたは神様を見たことはありますか?」
拝む宗教は違えどみな信仰しているのは見たこともない神様です。
ではなぜ人は見たこともない神様を拝むのか
なぜ見たこともいるかもわからない神様に頼むのか
それは人間はなにかにすがらなければ生きていけない臆病で弱い生き物だからです。
画期的な発明を作ってきたり今の文化を作ってきたのは神様ではなく人です
人は生き物の中で唯一高い知能を持っています。
なのでこの先幸せに辿り着くことはできないかもしれません。
ですが幸せになる方法を探すことはできます。
たとえ幸せになっても死んだら何も残りません。
ですが誰かに何かを残すことはできます。
そして、誰かの幸せに自分がなることもできます。
人生は自己満足です自分で幸せを見出すしかありません。
諦めないことは諦めることの100倍難しいです。
偉そうに私がここで話してはいますが私も幸せを未だに探している途中です。
皆さんも自分の幸せを探して見てはいかがでしょうか